安心の全石協保証書付き霊園
【本実院 沿革】
大光山と号する。現在は日蓮宗一致派大本山。 本堂に法華経・釈迦、多宝2佛と雲上4菩薩・四天王像を安置。 日蓮上人が鎌倉松葉ヶ谷に法華堂を草創、弘長3年(1263)配所(伊東)より放免、上人は棄却された法華堂を再建する、再興法華堂を大光山本国寺と号する。 文永8年(1272)再び破却され、日蓮上人は佐渡に配流。 同11年鎌倉に帰り、寺は日朗上人に付託・のち再興。 その後日印上人・日靜上人と受け継がれ、鎌倉将軍家の祈願所となる。 さらに後醍醐天皇の勅願所となり、貞和元年(1345)日靜上人、光明天皇の勅命により、堀川小路西、六条坊門小路南、大宮大路東、七条大路北の12町に寺地を賜り、寺を都に移転する。 ※日靜上人は足利尊氏の叔父であり、同上人を開基とする。(鎌倉期の寺伝には異説あり) 以降、妙本寺(妙顕寺)と京洛法華宗の双璧となり、六条門流と称される。 応永16年(1369)関白近衛道嗣の子息・日秀上人は本満寺を建てる等公卿・武家との権門と深く癒合して、勢力を拡大した。 この頃寺地は他の法華宗本山と同様に要害化される。 天文5年(1536)天文法華の法難で灰燼に帰し、堺の末寺成就寺に逃れる。 同11年勅許により、帰洛し、再建に着手する。同16年に以前の寺地に再建・本尊遷座。 天正18年(1581)寺地のうち南2町を本願寺造立の為割譲。 近世初頭には徳川家・日秀尼・加藤清正等の庇護を受け伽藍を拡充。 水戸光圀の帰依も受け、寺名を本圀寺と改称。 天明8年(1788)の大火で経蔵など僅かな堂宇を残し、類焼。 ※天明の大火 その後順次再建されたが、五重塔・本堂は再建されず。 戦後、本圀寺は乱脈と荒廃を極め、終に鎌倉から移転依頼のこの六条の地を離れ京都六条本圀寺 昭和46年山科に移転・現在の伽藍(京都山科本圀寺)を建立する。
本寺山科移転後も、本実院を含む諸塔頭は旧地に残存する。
【本実院 墓地】
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使用料 |
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所在地 |
京都府京都市下京区柿本町675 |
宗旨・宗派 |
宗教不問 |
墓地種別 |
寺院墓地 |
施設・サービス |
駐車場・バリアフリー |